2年前の春先にハムスターを飼い始めた。名前をMilKという。ジャンガリアンのパールホワイトというやつで、モコモコと白い毛並みがかわいい(親バカ)。
飼育することはかなり衝動的に決めた。当時あまりよく眠れておらず、消灯しないままうたた寝の要領で眠りに落ちる日々が続いてた。そんなわたしに届いた「夜行性の動物を飼って、その子のために部屋を暗くしてあげよう、そんな気持ちで暮らしてみたら」というアドバイス。安直なわたしは翌日にホームセンターへ向かったのだった。
(ちなみにMilKを飼い始めてからも、うたた寝のクセはなかなか治らなかった。ベッドに寝転んでしまうと、照明のスイッチやトイレ、風呂までの数メートルがハワイより遠く感じることあるよね)
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税込980円の命を迎え入れた瞬間から、こいつの死のことばかり考えて暮らした。ジャンガリアンハムスターの平均寿命は2年。環境に馴染まなければもっと短いこともあるという。
これまで、生き物とは縁遠い人生だった。今でこそ実家には犬がいるが、幼い頃から動物を愛玩した経験がない。大切にできるだろうか、というより、飼育が不慣れな故に天寿を全うさせてあげられないかもしれない、と思っていた。
ハルキムラカミの小説に「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している*」という有名な一文があった。それをはじめて読んだのは中学生の頃だったはずだが、MilKを飼い始めてからようやくその言葉を明確に意識するようになる。このあまりにか弱い存在はわたしの庇護がないと生きていけないし、どんなに甲斐甲斐しく世話をしても2年ほどで息絶えてしまう。それは人間にとっても全く同じことだと気づいた。
この2年間、身近な人たちの生や死を数多く経験した。そしてそれは、これまでもこれからも、あらゆる一時期を切り取ろうと同じだと思った。死はわたしたちの遠くにあるわけじゃない。ふとした拍子に「ハーイ」なんて現れるくらい近くにそっと居座ってる。
税込980円の命がわたしの死生観に与えた影響は計り知れない。
*『ノルウェイの森(上)』村上春樹(講談社、1987)
2年と少しの年月が経って、MilKはまだ生きている。容貌はほとんど変化のないように見える。よく食べ、よく飲み、相変わらず毎晩とてつもなく長い距離を走っている。寝床とトイレを入れ替えて暮らしてみたり(模様替え?)、水飲み場の周りをいたずらにビショビショにしてみたり、餌箱のペレットを掻き出して散らかしたり、手のかかる部分は変わらずここまで育ってしまった。おそらくずっとこうなのだろう。
ハムスターを飼ったことがある方は分かると思うが、この小さい体からあふれる生命力はとんでもなく大きい。強烈な生を感じる。
「慣れる」ということはあれど、あまりに本能的な生き物である。手の上でおやつを食べたり(かわいい)、腹を撫ぜると目を瞑っておとなしくなったりする(とてもかわいい)。ただ、それを「懐く」といってしまうのはあまりにおこがましいと思う。でも、やっぱりかわいい。この世界の何万、何億というジャンガリアンよりうちの子がかわいいと感じる。
だからといって、ずっといっしょにいたい、死んでほしくないというのはまたちがう。こいつは強烈な生命力で毎晩数キロを走りながら、ものすごい速さで死に向かっている。現代は人生100年といわれているから、ちょうどMilKの50分の1くらいの速さでわたしたちも死に向かっている。ちなみにハムスターは猛烈な速さで走りながら脱糞するが、わたしたちも似たようなものじゃないだろうか。慌ただしい日々をクソするために暮らしていないか(突然のロックンロール)。
「生き物を飼うことで命の大切さを」なんて安い学習の言葉が謳われているが、わたしはまちがいなくMilKを飼うことで死生観を養ったように思う。世界一かわいい生と死をケージに入れて飼っている。
P.S.
この本読んでたら個体の生死とはいかに些末な現象だろうか、と思った。
遺伝子の研究・解析を行うジーンクエストの代表取締役・高橋祥子さんの著作。
種の観点からいえば、多様性は生存するための進化の一形態。周りとちがうことを卑下することは一切なく、何度失敗しようが長期的に生存していれば適応として正しいといえる。だから、じぶんの選択に自信をもってやり続けることが大事みたい。
「そんなの無理だ」「お前にはできない」と言われようが、継続した先に生存していればそれが正解だ、ってまさにスタートアップっぽいなと思った。
その頃には酷評していた人たちが「やればできると思った」「前から良いと思ってた」なんて変わり身の術を繰り出してくると思うが、そんなやつらには中指を立ててやればいいんだ(突然のロックンロール)