もう中学生はきっと電車の座席に座れない(2021.11.27)

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket
  • LINEで送る

帰り道。わたしは段ボールを抱えて東京駅のホームに立っていた。

大きめの段ボールだ。折り畳んで体の前に抱えると、足先から胸の高さまである。

 

翌週から北千住にあるシェアハウスのお世話になる予定だが、驚くほどなにもしていない。

段ボールひとつあれば荷物はすべてまとまりそうだったので、職場に投げてあったこいつを持ち帰ることにしたのだ。

 

「これが夏ならばキャリーケースひとつで身軽に引っ越せるなあ」

「かさばるコートやら厚めの部屋着やらは段ボールに詰めて送ってしまうか」

「しかしこの週末でぐっと冬に近づいたなあ」

 

そんなことを考えていたところ、10代とおぼしき女性二人がこちらを見て、なにやら笑っている。

 

「段ボール持って電車wwwもう中学生かよwww」

 

あのねえ、段ボールを運ぶのはものすごく大変なんだぞ。

わたしは今夜、世界の誰よりも「もう中学生」の日常に思いを馳せる人になった。

 

もう中学生氏のプロフィールを確認しよう

吉本興業所属のピン芸人、もう中学生氏

2000年代に一斉を風靡したのち、2020年ごろから再度テレビを中心に活動の幅を広げる。

ハイテンションなキャラと、独特な言語感覚でちょっと目が離せないタレントさんだ。

Twitterより(@mouchumaruta)

 

もう中学生氏の芸風といえば、段ボールを使った一人コント

ネタには段ボールを使った手作りの小道具(サイズを踏まえると“大道具”と言えそうなグッズ、あるいは舞台装置)を使う。

段ボールで作った小道具は撮影現場まで電車で運ぶ、というエピソードはバラエティ番組でもよく話されているという。

 

……いや、あの、あんまりテレビを観るタイプではないので、いまざっとググってみました。

詳しいことはしらんけど、段ボールで手がふさがっていたのもあって、帰り道ずっともう中学生氏のことを考えて過ごしました。以下はその記録です。

段ボールと暮らすとはつまりこういうことだ

わたしの普段利用している総武線快速は、錦糸町より先、品川の手前まで地下深くを通る。

東京駅のホームはもっとも深く、その位置は地下5階にあたるらしい。

 

上下線の電車が着くたび、ホームには強い風が吹く。トンネルの中を、空気がところてん式に押し出されるのだ。

表面積の広い段ボールは、残酷なほど風に煽られる。ヨットの操船とは逆の原理で、風を避けなければならない。

風向きに合わせてクルクルと体を回転させなければ、段ボールはすぐに折れてしまいそうだ。

また、風を受ける段ボールはひどく重い。指先には想像以上の負担を強いられる。

 

都内の地下鉄でも同様の事象が起きていると思うと、もう中学生氏の通勤には極めて過度な肉体的負荷がかかっているだろうと想像できる。

彼のWikipediaには「段ボールは大きく重量もそこそこあるため、運搬により右腕の筋力が鍛えられている。」とあるが、これには深く頷かざるを得ない。いまや相当な腕力をお持ちであろう。

goo天気より

ちなみに、今日の東京の最低気温は7℃。強い北風が吹いて、体感温度は完全に真冬のそれ。

段ボールを抱える、逃げ場のない右手はすぐに感覚を失った。

これではいくら筋力が鍛えられていようが、しんどいと思う。

 

ここでわたしは不安になった。今夜、もう中学生氏が手袋を持っていなかったらどうしよう。

この週末は冷えると天気予報で伝えられていたし、日頃から段ボールを運んでいるもう中氏はもちろん持参していると思うが……

 

「他人の痛みを想像しましょう」なんて道徳教育で教えられた気もするが、今夜ほど自分以外の人の痛みや苦しみを思うこともない。慈愛の心が育まれた。

 

そして段ボールは体の一部になる

じぶんの体より背の高いものや、幅の広いものを抱えていると、次第に自身の体それ自体が拡張した感じがする。

自動車の運転がうまいドライバーは、どんなクルマを運転してもすぐに車体感覚をつかんでしまうという。

そのとき、身体の感覚は車体のサイズまで拡張しているのだろう。逆に言うと、駐車が苦手な人はクルマと自身をリンクさせるイメージができていないのかもしれない。

 

今夜、わたしは完全に“段ボール幅”になっていた。もう中学生氏もきっと、普段から段ボール幅で暮らしているのだろうと思う。

段ボール幅では、とてもではないが電車の座席に座ることができない。

広いのだ。一人分の横幅よりずっと段ボールは。3席くらい空いていたら座れるかなというレベル。ひとり分の座席が空いたくらいでは腰を下ろすのは不可能だ。

 

もう中学生氏はきっと電車の座席に座れないんだ。そう思った。

日本の電車は、段ボール幅の人間にとってあまりにも窮屈である。

 

好き好んで段ボール運ぶやつなんているか

ところで、ここは総武線。都内で用事を済ませた千葉県民たちがわんさか乗車してくる。

次第に混みはじめる車内で、わたしが感じていたのはただひたすらの申し訳なさ。

「こんな大きな荷物を抱えてすみません」とずっと感じながら、東へ東へと運ばれていった。

 

大きめの弦楽器や、ウィンタースポーツのギア、ロードバイクなどを電車に持ち込む人もいるだろう。

先日はフードデリバリーのドライバーが、自転車とともにあの特徴的なリュックサックを抱えているのを見た。

 

SNSを眺めていると、たまに「満員電車に〇〇を持ち込みやがって」という質の低いコメントが流れてくることがある。

そんな誹謗の対象になるだろう大きめの段ボールを抱えて乗車したわたしは、改めて思った。

 

「こっちだってこんなん持ち運びたくないやい」

 

わざわざ好き好んで幅を取っているわけでは決してない。なんなら宅配便で送ってしまいたい。いや、引っ越しでそれをするために、いまおれはこれを運んでいるんだった。

 

「迷惑だな」と他人に思われてしまう振る舞いをしている人が、本意で迷惑をかけたくて行為に及んでいる……そんなことが一体どれだけあるだろうか。

そもそも「迷惑」とは一方の主観でしかないのではないか。ルールではなく、マナーや思いやりを大事にしようという姿勢はつまりそういうことではないのか。

 

段ボール当事者になってみて、公共スペースのあり方について考えを新たにした。

今後は電車内で大きな荷物を抱えている人にやさしくありたい。

 

われわれは世界と、他者とどれだけわかりあえるか?

エストニア出身でドイツの生物学者、ユクスキュルは「環世界」という概念を提唱した。

世界とは、環境とは客観的なものであり、われわれはそれをわれわれの知覚を通して認知している。

基本的に人間は視覚に依存しがちだが、犬の場合は主に嗅覚で環境を把握する。日向の岩をわれわれは鉱物として認識できるが、トカゲにとってそれはひなたぼっこをするための場所でしかない。

知覚が異なる以上、そのほかの生物にとっての世界を完全に理解することは不可能だ。われわれは“ちがう”ということをベースに、ただ想像することしかできない。

 

同様のことは人間同士にも言えるだろう。

われわれはお互いにちがう。原則的に「わかりあえない」もの同士でありながら、どこかでわかりあいたいと願うことをやめない。

わたしは普段から段ボールを運ぶ人ではない。つまり「非“もう中”的」な人間だ。今回ひょんなことから「“もう中”的」な生活の一部を体験した。その結果、ここにたしかな「わかりあえなさ」の壁を感じたのだ。

 

多様性とは、これまで想像もできない、思いもよらない物事に寄り添った言葉だ。

じぶんの生活の幅を少しでも広げようとすることで、考えもしなかった範囲に思考のエッジを伸ばすことで、われわれはようやく「わかりあえなさ」からはじまる多様性について語ることができるように思う。

 

段ボールを運ぶとは、すなわちSDGs的な取り組みだったんですねえ。

みなさんも、次の休日は段ボールを運んでみてはいかがでしょうか。

普段は見えない世界に触れることができるかもしれません。

 

「タメになったね〜」

「タメになったよ〜」

 

終わりに

……とここまでアホみたいなことに時間と思考を使ってきましたが、もう中学生氏ももうベテラン芸人です。荷運びを伴う仕事にはタクシーとかで行くんじゃないでしょうか。

そういえばジェットコースター芸人の知り合いが、ロケのとき制作会社のクルマが迎えに来ることもあると言っていました。

撮影のたびに段ボールを運ぶというのはものすごい大変だし、もう中学生氏が少しでもラクに暮らしていけるといいな。そんな思いを込めつつ、彼のYouTubeチャンネルを紹介して今日の日記を終わります。

ちなみに、もう中学生がその名を世間に知らしめたのは『爆笑レッドカーペット』(フジテレビ系列)とのこと。

あれは2000年代後半の番組なので、あの頃生まれたベイビーたちは実際に「もう中学生」になっている。すごいね。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket
  • LINEで送る

コメントを残す


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください