天にまします我らの父よ、今日はじぶんちのゴミ収集所に燃えるゴミを出しました。
ゴミ出しのついでに近所を散歩。墨堤通りの南側を中心にそぞろ歩く。
千住関屋町には倉庫があって団地があって団地住まい向けの商業施設があって、それはまさに幼少期の記憶だった。
化学メーカーに勤める父の都合で、西へ東へさまざまな地域の社宅を転々とした、その頃に見た風景。
団地で暮らすというのは、友だちの家で食事をしたり、お隣さんに叱られたり、夏祭りや美化活動などを住民一体で行ったり、つまりそういう生活のことだった。
この「社会的に生きる」という団地的な生活体験が、その後わたしを地方に移住させたり、都心のシェアハウスおよび近隣住民のネットワークで暮らしたりといった行動に向かわせているように感じる。
散歩中に出会ったこのパンダがなぜ仰向けなのか。
口元のバーは構造上のものか、それとも意匠に関わっているのか。
これに乗る子どもたちは一体どういう感情を抱くのか。
そんなことを考えたら公園から動けなくなってしまった。
相当にすり減った腹がまた笑いを誘う。
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『読書の日記』を読んで「スープ」と思い、届いていた『モノノメ #2』を読んで「ランニング」と思った。それで買い物に行くことにした。
千住大橋にあるショッピングセンターを訪れ、ワークマンでランニングシューズを、カルディでスパイスや乾燥豆を、ライフで肉や野菜をドカドカ買う。
最近のわたしは食生活がひどすぎる。
コンビニ飯ならまだしも、ソイジョイとコーヒー、そして多量のアルコールをエネルギーに変換する日々だ。ひどい。
健康志向はまるでなく、「人生100年時代」にじぶんは含まれていないとすら思っている。
障害者支援施設や高齢者介護施設を身近に感じながら働くなかで、決定的に「太く短く生きたい」と考えるようになった。
ただ長く生きることに興味がなさすぎることが、結婚や家庭を含む将来のイメージをしにくくしている気がする。
長寿は結果なので関心がないものの、日々の太さーーつまりよく読み、よく考え、よく対話することーーを踏まえると、直近の生活を“健康的”にしていくべきと思っている。
20代を実に愉しく過ごしたが、30代は輪をかけて面白い。
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読書の日記、と打って、そうだ読書記録をつけたかった、だからブログを再開したのだったと思い出した。
毎日なにかしら読んでいる。その記録を残したい。
モオツァルト・無常という事 / 小林秀雄
大洪水 / ル・クレジオ
移動祝祭日 / ヘミングウェイ
掃除婦のための手引き書 / ルシア・ベルリン
華氏451度 / レイ・ブラッドベリ
書きあぐねている人のための小説入門 / 保坂和志
ハーモニー / 伊藤計劃
きみの言い訳は最高の芸術 / 最果タヒ