「このドラマ観てみて。きっと好きだと思うから」
友人のそんな誘いで観始めた『コントが始まる』、なんとずっぽりハマってしまった。
このドラマの魅力は「推し」と他者視点による喜劇性だなあ……なんて考えつつ、後半はじぶんの「推し」についていくつか紹介しています。
人のオススメだいたい買う
そもそも「普段の発信を見ていて、これきみが好きな作品だって思ったよ」とドラマをレコメンドする感性、最高だと思いませんか。
そんなコメントをくださる友人のセンスに脱帽です。ブログ書いててよかったと改めて思う。
わたしは本や映画、食べ物など人からオススメされたものはだいたいポチりがち。
なお、それで失敗したことはほとんどないです。信頼できる人間関係に恵まれてきたんだなあ。
みなさんの「これ良かった!」をどんどん教えてほしい。どんどん買います。
良き友人を持ったことに感謝し、1週遅れで追いかけた『コントが始まる』。
1話の冒頭10分で、あ〜これ完全にハマるやつですわ、と実感することになりました。
売れないコント師を続ける3人の男、会社を辞めた喪失感をC級芸人で埋める姉と、目的なく夜の街で働く妹。
劇中劇を交えながら限りなく現実を生きる同世代の物語……早くも次回が楽しみでなりません。
さて、この作品のポイントは「推し」の他者視点だと感じました。
「推し」が生み出す喜劇感
物語は売れない芸人トリオの挑戦と葛藤を中心に展開していく。
ファンとして彼らを「推す」ひとりの女性の視点がこのドラマをおもしろく魅せているように思います。
他のあらゆる業界と同じように、芸人の道も長く険しい。
「売れたい」を叶えるためには果てしない課題の山があって、10年がんばっても芽が出ないトリオ「マクベス」の3人もそれぞれ苦労をしています。
彼らが解散を決めるところから物語がはじまるため、1話から心苦しいシーンが続きます。シリアスなシーンもチラホラ。
「学生を終えて10年」というのはまさにわたしが置かれている状況そのもの。
20代の間挑戦してきたもの(あるいは挑戦してこなかったもの)と真剣に向き合わなければならない……そんなタイミングを同じように迎えている身としては、劇中の葛藤を決して他人事とは思えません。
それでも、全体を通してコミカルで笑えるのはそれが喜劇的に描かれているからだと思う。
物語の主役はマクベスの3人だけれど、彼らを推す女性の視点で物語を覗くことで、コミカルなドラマとして展開されているようです。
“Life is a tragedy when seen in close-up, but a comedy in long-shot.*(人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇だ)”
これはわたしが大学時代、文学部の授業でおぼえた数少ない学びのひとつ。ふまじめですね。
『コントが始まる』はまさにこの原則に従って作られています。
有村架純さん演じる里穂子は、会社を辞めた空虚感を埋めるようにC級芸人マクベスにのめり込んでいきます。
所属事務所を探す、過去のインタビュー記事を追う、非公式ブログを読み漁る……
物理的にも精神的にも近いところで暮らしながら、あくまでいちファンとしての立ち位置に留まっている(今は)。
彼女という他者が各シーンに存在することで、深刻な状況もどこか他人事として捉えられ、喜劇としての距離感で観ることができるようです。
「売れたい」若者の数だけドラマはあるけれど(そしてもれなくつらく厳しい)、推している人の視点が入ることでこんな喜劇になるんだなあ。
推す、というのは積極的に他者でいるということらしい。
ところで、里穂子のマクベスを推すようすもまた、他者視点で見ると実に喜劇的でおもしろい。
当の本人は至って真剣なのだが、恥じらいつつもド直球に愛する感じはどう見てもおかしいのです。
里穂子の存在がマクベスを喜劇にしてしまうように、里穂子自体もまたコメディの主人公として機能している。
なんだこの構成、おもしろすぎか……
「芸人の挑戦と葛藤」という辛辣な題材を、劇中劇と「推し」の力学によってライトなコメディに仕立てている……なんて畏まって書く必要もないくらい、単純におもしろいドラマです。ぜひ観てね。
◆そのほか、『コントが始まる』2話までの感想
・「10年がんばって売れなくても、そこで踏ん張ったやつらが今の舞台に立っているんだ」と中村倫也さんに言わせるずるさよ。おれは泣いた。
・学生時代にプロゲーマーとして花開くも、23歳にして「若いやつらに叶わなくなってきた」と神木隆之介さんに言わせるずるさよ。おれは泣いた。
・「伏線回収がすごい!」と評価されているが、伏線を回収するから良い作品というわけではない。そこに意味があるからすごいとは思う。
・『花束みたいな恋をした』のときからうっすら感じていた、有村架純さんのただならぬ実力よ。
・里穂子にとって、マクベスが「推し」からもっと近い距離になったとき、ドラマの見え方変わりそう。
*喜劇王チャールズ・チャップリンCharles Chaplinの言葉らしいです。
「推し」は愛のあるえこひいき
里穂子がC級芸人マクベスを「推す」そのようすはちょっとしたおかしさを感じる(有村架純さんにちょっとおかしな女の子を演じさせたら優勝)。
でも、現代はみんながなにかを推している時代なのかもしれません。
マイナーなバンドのおっかけ、深夜ラジオのリスナー、地下アイドルの親衛隊……それぞれが自分にとっての神を推している。神道もびっくりの世界だ。
GLAYのライブに20万人が集まる時代じゃない。20人のファンコミュニティが数万単位で存在するのが現代です。
2019年にリメイクされたアニメ『どろろ』の二次創作を今も作り続けている友人がいる。
ディズニーランドのパレードに登場するダンサー、それぞれにファンが付くらしい。
いっとき運営に関わってた「ご当地キャラ」。推しのキャラが出演するイベントをめがけて全国を巡る方々がたくさんいた。
店の常連になるとか、定期的に通う地域があるとか、そういったのも「推し的」だろうと思う。
「推し的」な対象がたくさんあるということ、それはひとつの豊かさのかたちかもしれない。
かくいうわたしもあらゆるものを推しています。
読み物が好きで、新作を必ず読む小説家が何人もいる。学部で専攻していた英米文学も好きだ。
また、最近はクラフトビールに再熱。奥多摩・バテレは手当り次第全部飲んでいます。ここのHAZYは本当にうまい!
推しの焙煎士と巡り合ったので、コーヒーも豆から挽いて飲むようになった。苦味が弱くて、酸味の強いタイプがいい。あっちこっちSTANDさんをどうぞごひいきに。
「推し」は愛のあるえこひいきだなあと思う。
わたしとそれとの関係は徹底的に他者であるが、その他とは比較にならない特別さを感じる、ということ。
愛のあるえこひいきはどんどん歓迎されたい。
また、「推し」こそスモールビジネスの基本であるかもしれない。
抵抗なく推せる商品やサービスは買いやすいし、勧めやすい。
わたしが『コントが始まる』をレコメンドされたように、「推し」がひとつキャッシュポイントになりうる。
有村架純さんの演じるちょっとおかしな里穂子こそ、時代のスタンダードな若者像なのかもしれないなあ。
おわりに
ドラマを観るということ自体珍しいのに、熱量高く感想まで書いてインターネットに発信している。
じぶんの好みだけ信じて生きていたら絶対に出会えなかったや。これからも人の推しを信じて暮らしていきたいと思います。
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ゆいさん( @tadounoyui )、このたびはご紹介いただきありがとうございます。ご覧の有様。しっかりハマりました。あなたの感覚はとても正しかった。