稼ぐまち、稼ぐひと。(2019.09.01)

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お金を稼ぐことを「卑しい」と思う風潮はいつから生まれたんだろうか。
地域を良くするためには流動的な事業環境と個人のファイナンシャル・リテラシーを育てていく必要があるのでは?

 

今日はクラウドファンディングの相談会に参加してきた。
東北旅行を急遽切り上げとんぼ返りで帰ってきた理由はこれに参加するためだ。

https://twitter.com/seiyatakashima/status/1168475107213209601

 

仙台から弾丸帰ってきたことについてはこちらに。

インターネットの向こう側を見た。(2019.08.31)

相談会には本当に面白い人たちがたくさん集まっていた。

ご自身の経験から産後うつに対するアクションを、じぶんのできることから始めたいと志す方。
じぶんが本当に良いと思える野菜を、同感する方々と一緒になって育てられる農場運営を広げたい方。
ショコラティエとしての経験をもとに、「チョコをメディア」として地域の魅力を発信していこうと考える方…

わたしは才能もセンスも能力もない、特段光るものを持たない人間だから、こういう風にオリジナリティーをベースにじぶんなりの事業を始めていく人たちを心から尊敬する。
みんなの目的を抽象化すれば、結局のところ「まちがよくなる」「地域がよくなる」ということにつながっていく。
まちは人の取り組みの集合体であるという意味でも、人が良くなることからすべてがはじまるのだ。
だからわたしは、こういう相談会のたびじぶんの持てる少ない資源を放出するように、全力で相談に臨む。

=====

まちづくりや地域福祉といった領域は、本質的な取り組みがお金を生まないなんて事が往々にしてある。
「ソーシャルビジネス」といった言葉が日の目を浴びていることを考えると、資本主義のルールをこういった利他的活動にもきちんと当てはめていくべきとも思う。
でもそこに必ずしもビジネスの仕組みを組み込むべきでないパターンもあるのだ。

人口減少によるダウンシフトの時代において、すべてを公的な組織の仕事として税金を当てはめることが必ずしも良いとは思いません。
寄付をすることのハードルがものすごく下がっている現代において、必ずしも家計の余剰部分や裕福な人の上澄み水が慈善活動に当てられるわけではなくなってきた。
社会を変えようと声を上げた人に、クラウドファンディングで数百〜数千件の寄付が集まっている事例を見るたびに、彼に与した人たちが全員裕福ではないと言う事は自明の理です。

こういった事象を見るにつけ、余裕はないかもしれないが社会や地域に対して投資をすることが結果自分たちに対して大きなリターンが入ってくる。そう考える若い世代が増えているんだと思います。
ということは、もっと上の世代の人たちまで巻き込んで地域の文化を醸成していくということは不可能でないことを示唆しています。

『稼ぐまちが地方を変える』という本もあった。
まちが人々の営みの集合体であると言う意味からも、稼ぐ人、あるいは地域におけるお金のリテラシーを高めることがそのためには必要なんだろうなぁ。

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