昨夜から断続的に続く雨は、例年より早く咲いた桜の花びらをことごとく洗い流していく。
「浮かれるにはまだ早い」とばかりに先輩風を吹かす春の嵐は、衣替えの済んだばかりのぼくたちに冬物のコートを着せた。
2021年4月5日。「人類集結」こと無印良品週間の最終日である。
賢い消費者であるみなさまにおかれましては、良品週間の早い段階で必要なものを買い揃えたことでしょう。
うっかりタイミングを逃したわたしは、テレワークを早々に切り上げて最寄りの無印に向かいました。
雨もすっかり上がった夜の津田沼駅前は、月曜日ということもあって人もまばら。
「良品週間の最終日には近づいちゃならねえ」
村の教えを破ったわたしを待ち受けていたのは、フロアをぐるりと回るレジ待ちの列。街の人が少なかったのは、すべて無印に吸い込まれていたからだと納得した。
ざっくり計算で50名を超えそうな行列を見ていたら「津田沼パルコ、閉店せんでもよいのではないか」という切ない気持ちも沸き起こる。
パルコの閉店時間まであと1時間。村の教えは偉大だ。
わたしはそもそも日頃モノを購入することが少ない。ランチも食べず、コンビニにも通わない生活なので日頃財布を開けるタイミングが「本」「スーパー」「飲み会」くらいしかない(あれ、すごい少ないというわけでもないな)。
そんなわたしにとって、良品週間は数少ない「ムダ遣い」の機会なのです。
身の回りのモノに対するこだわりがほとんどない。引っ越しも多い人生だったので部屋には最低限必要なモノしかない。
「お金を遣うならムダなく、じぶんの糧になるモノだけ」という信念を掲げていたときもあった。というか、つい最近まで本当に財布の余裕がなかった。
「地域おこし協力隊」のときの給料は公開されているので隠すまでもない(年収200万円)。その後も地域のさまざまな付き合い、ボランティア、寄付などにお金を回していたら、いつしか「ムダ遣い」が全然できない体になってしまった。
(なお、生活レベルを極限まで下げた日々のおかげで一般並みの給料でも十分豊かな暮らしを送ることができている、というのは間違いない。ありがとう極貧の日々よ!)
新しいモノを買うたびにインターネットでレビューを調べる妙なクセ。ネットには好意的なレビューの倍は、後悔や激怒の感想が汚い言葉で並んでいる。
それを見るたび嫌な気持ちになる。わたしは匿名のクソリプやネガティブコメントが本当に苦手。
「世の中にはじぶんのような、買い物の失敗に慣れていない人がたくさんいるもんだなあ」と思った。それなら、積極的に失敗していけばいい。
賢い消費者であるみなさまにおかれましては、無印で買うべきモノなどはるか昔から把握しておられることでしょう。
バシャバシャ使える化粧水、非常時にもありがたいレトルトカレー、色とりどりの不揃いバウム(揃ってるやつ食べたことないな)、収納やキッチン用品も大体いい感じ。無印良品は「とりあえずコレ買っておけば間違いない」という商品ばかりです。
だからこそ、良品週間をいいことに気になる商品を片っ端から買ってみるのはいかがですか。
ネットのレビューを見ず、店内をふらふら歩いて「これは」と思ったモノを買ってみる。余計なモノをひとつふたつカゴに入れていく。使ってみないことには、それがじぶんにとって意味のあるモノかどうかわからん。
誰かのレビューが、あなたにとっての正解であるはずがないしねえ。
メモパッド(税込80円)
ひとりブレストの際に使う付箋の代わりになればいいなと思って。小学校で配られるプリントの香りがする。シャーペンで強く書くと簡単に破れるアレ。
案の定、うまく本体から切り離せないところが愛らしい。
パスポートメモ(税込120円)
普段は大判の方眼ノートとevernoteを使ってる。最近「ちょっと紙に書き留めたいな」と思うことが多い。いつでもポケットに忍ばせてジャーナリングに使おう。紙の揮発性メモリとしてうまく使えるといいな。この気持ちわかる人いますか。
そういえば大学生の頃、バイトしていたカフェで後輩の指導をすることが多かった。新人さんが入ってくるたびにこれと似たようなメモ買って、ひと月の間に教えたことやその子の特徴、良かったことなどメモってOJT終わるタイミングで渡したりしてたなあ。なにかの役に経っていることを祈る。
フィットするネッククッション(税込1,490円)
遠出の予定がないばかりか、わたしの家にはYogiboがいる(Yogibo、“ある”より“いる”が似合う)。とりあえず首に巻いて生活してみるが、今のところマジで使用シーンがわからないな。巻いて通勤する勇気、アラサーにはない。
これを機に夜行バスでも乗ろうか、と逆説的に旅に出ることを考えはじめている。
今日もわたしはいろいろ買った。
誰がなんと言おうが、いつだってわたしのセレクションがわたしにとって最善の選択。