朝目覚めて「なるほどね」と思った。全身を覆う筋肉痛に納得したのだ。
前日のこと。わたしはあろうことか筑波山をキックボードで奔走した。
おかげでつくばアートサイクルプロジェクトでは多くの作品に触れることができた。
その代償として、今日は名前も知らない筋肉たちが痛い。
キックボードを蹴り進むのに、そんなところの筋肉が必要なのか〜これがキックボード筋か〜
と呑気に思うなどした。
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下北沢・BONUS TRACKで「日記祭」。インスタライブのトークイベントを流し聞く。
日記を書く人、日記を世に公開する人、日記を売り買いして暮らす人らの話。
この春先は日記文学しか読めなかった。
仕事ではシステマチックな論理設計ばかり。アウトライナー、パワポ、パワポ、イラストレーター、またアウトライナー。YouTubeでTEDxTalkの映像ばかり見た。カンペを見ずとも7分きっかりでプレゼンを終える練習をした。
課題解決型のコンサル脳ではまともに小説を読むなど不可能で、たどり着いたのが日記文学だった。
日付で区切られた極めて私的な、あるいは詩的な作品はどんなに心身が疲れていてもスッと馴染んだ。
毎晩むさぼり読んだのがfuzkue・阿久津隆氏の『読書の日記』。
2冊をシェアハウスの枕元に忍ばせ、ほぼ毎日寝る前に読んだ。
生きるためにやむを得ず本を読み漁る人の話は他人と思えなかった。読書の愉しみも苦しみもごちゃまぜになったこの作品を読み続けた4ヶ月だった。
ヘミングウェイ、雨宮まみ、滝口悠生、ケルアック、保坂和志、最果タヒ、ナボコフ……かつて読んだ本も、これから読むであろう本も、日記の中ではどれも活き活きと物語の魅力を発していたのだ。
特に続編(女性の表紙の方)が好きで、文庫本サイズの分厚いハードカバーというコミカルな形状をたまになでたりしている。これは本当によい。プロダクトとして実によくできています。
……すると、トークイベントのゲストに作者の阿久津氏が出ているではないか!
画面越しにこの人の著作をなでまわしているんだ、おれは。
なんて恥ずかしいんだと独りの部屋でくくっと笑って、キックボード筋がまた少し痛んだ。
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夜。思い立ってJ-WAVE『TRAVELLING WITHOUT MOVING』を流す。
昨日カーステ爆音でFMを聴いたりしたことが影響しているようだった。
Rejjie Snow、ピチカート・ファイヴ、Swing Out Sister、ジム・オルークと相変わらずだった。
「外出を控えなさい」とはじめて言われた4月の頭、部屋の電気を消してろうそくの火と湿気った紅茶でこれを聴く遊びをしていたことを思い出した。毎週日曜日『TRAVELLING WITHOUT MOVING』、そんな未来があったかもしれなかった。
あるいはイオンで週末を過ごしていたかもしれなかった。バーガーキングとスタバの新作に注目し、ビアードパパかミスドのどちらにするか悩み、カルディでワインとチーズを買って、夜は野村訓市の声を聴くのだ。「次の週末はトーキョーに行きたいね」と話しながら結局コストコで妥協したりするのだ。車移動とハイカロリーで徐々に太ったりしながら。
でも今わたしは北千住の11Fにひとりで家を借りて、四六時中仕事のことを考えて暮らしながら、なぜだかちょっとずつ痩せてきている。
茨城という土地はわたしにとってセンシティブであるようだった。しばらく感傷的な気分が続きそうな気がする。