人生で最も恥ずかしい瞬間とはいつだろうか。
人前で転んでしまったとき?
親に隠していたアダルトビデオが見つかったとき?
それとも、ランチのミートソーススパゲティを胸元にどっさりこぼしていたことに気が付かず、採用試験の面接官に指摘されたとき?(実話)
わたしは今日、これまでの人生で最大級の恥ずかしさをおぼえた。
じぶんが恥ずかしい状態にあったことを、他人に気付かされた瞬間に。
無恥とは
じぶん自身が恥をかいていることに気が付かない「無恥」の状態はかなり危うい。
そもそも恥とはストレッサーの中でも上位クラスの輩である。
過ち、誤認、露呈、ネガティブな至りなどその要因はさまざまだが、一様にして「恥ずかしい」という感情は精神を追いやる。
恥ずかしさを好んで受け入れる人に、わたしはこれまで出合ったことがない。
恥を知らずに過ごしてきたけれど、どこかのタイミングでその恥に気がつくということ。これはやばい。
「無恥」で過ごして期間が長いほど、また多くの人々に見られていたほど、恥は倍々になっていく。
ましてや、他人にその恥を気付かされることなど。
恥じてばかりのこれまで
物心がついて20数年経つけれど、大いに恥にまみれた人生を送ってきた。
小学校の卒業文集には、「21世紀は中国がアツい!」というニュースに影響されて、将来の夢に「中国人になる」と書いていた。
中学時代に熱中したバスケットボールはいつまで経ってもシュートが上手くならず、応援に来てくれた親をずいぶん悲しませた。
高校から始めたバンドではギターボーカルを務めるも、練習不足により英詞をほぼ喃語に近い形で歌っていた。
大学では英米文学科に入学したものの、TOEICの点数は高校生の半分程度だった。
学生時代をさかのぼっても黒歴史ばかりである。
社会に出てからの経緯はあまりにリアルなので詳細を省くが、まぁひどい恥晒しだったと思う。
そんな恥の多いわたしだが、今夜の恥ずかしさは尋常ではなかった。
納得感のある恥
今日は訳あって地域の方々との宴席に参加させてもらっていた。
そこで、ほぼ初対面の方と現在の仕事の話などしていた矢先。
「で、なんで成果が出てないの?」
鋭い指摘だった。
そして、瞬時に理解できた一言だった。
それは、まったくもって納得感のある、わたしの仕事ぶりに対する評価だったのだ。
その瞬間、じぶんがいかに「無恥」であったのかを知った。
「無知の知」と「無恥の恥」
じぶんで言うのもアレだが、わたしはそこそこに賢い。
それは、学歴が高いとか地頭が良いとかいう話ではない。
わたしは、じぶんが無知であるということに過敏なのだ。
太古の知識人が「無知を知れ」と伝導していたのを割と真摯に受けている。
収入の2割以上を書籍や勉学に費やしている。
異次元・異世界の人々と会うために、余暇を最大限遣っている。
人生に対するミクロな視点で「強く、賢くなりたい」と日頃思っている。
時間が最高の資源であることを毎日自覚している。
現代が資本主義社会の原理に則していることを理解しようとし、そのための知識獲得に理論の構築と実践に尽力している。
すべて、じぶんが「物事を知らない」という前提に立ち、考察と行動を続けている。
そんなわたしの日常を、今日お会いした人はほとんど認知していない。
ただただ、目の前のわたしに対して、誰もが見て分かるような至らなさを指摘したまでだ。
つかの間の絶句、のちの羞恥。
わたしは今日、じぶんの「無恥」が「恥」に変わっていくのを感じた。
自己認恥の難しさ
じぶん自身のことについては、案外理解しにくいものだ。
周囲から見れば自明の理でも、当の本人は気づかないことは結構多い。
「あの人、こうすればいいのにな」
「この人のこの部分、よくないよね」
そんなことは日頃人と接していれば、頻繁に想起することだ。
でも、誰もがそのことを口にして伝えてくれるわけでもない。
他人はお前の母親じゃない、という言葉もある。
じぶん以外すべての人が知りうることを、誰も教えてくれないことだってある。
そういう意味では、おそらくこの世のすべての人が「無恥」を抱えている。
ただ気づいていないだけだ。
それもひとつやふたつじゃない。
きっといくつも抱えている。
おわりに
わたしは今日、ひとつの「無恥」を知ることになった。
正直、死ぬほど恥ずかしかった。
ディティールの説明はしないが、今抱えている仕事関係の話だ。
その場に勤め先のボスがいたという意味でも、相当死にたい瞬間だった。
今すぐ駆け出したいと思った。
あと3年若かったら、多分逃げ出していたと思う。
ただ、この3年は妙に密な時間を過ごせたおかげで、じぶんの「無恥」に対して「無知」だという構図を客観視できた。
忘れちゃダメだな、と思って急いでこうしてブログに起こしている。
日付がちょうど変わった頃、自宅の玄関先に咲く桜が満開でつい見惚れた。
「無恥の恥」については毎年思い出すことにしようと思って、2019年のやたらと寒い4月に咲く桜の花と共に記録しておくことにする。