休日運用力をまるで信用していない(2022.06.05)

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瓶からコーヒー豆を出す。ジャラジャラという音と共に転がり落ちてくる豆たち。

スケールに乗せる。ぴったり18g。

ミルで挽くあいだにお湯が沸く。ドリップポットに注ぐ。

スケールに乗せる。242g。惜しい。

 

毎朝ほぼ欠かさずにコーヒーを淹れて飲んでいる。

豆18gに湯を240g。手に感じる重みと目で見た総量で、規定の量がだいたい分かるようになってきた。

しかしコーヒー好きならば、本当の意味でコーヒーを好きであるならば、それぞれの量を増減させたりして味の変化するぐあいを愉しむべきなのだろうな。

 

・・・

 

カレンダー上は完ぺきに休日だった。

わたしは完ぺきな休日にめっぽう弱い。

どう過ごしたら有意義な休日になるか、と考えて結局なにもできず、ただぼんやりと1日を過ごすことが多い。

じぶんの余暇を過ごすスキル、休日運用力をまるで信用していない。

 

午前中は本業や複業のさまざまなSlackを眺めて、少し文章を書き、勉強中の会計にまつわる本を舐めて終わった。

それは結果的に「のんびりした」ということなのだが。

 

だから6月の週末はそこそこ予定が詰まっていて、その裁量の効かないスケジュールに若干安心する。

千住で作ってるシェア型本屋のイベントがあって、東京の友人たちとつくばを回る日があって、クルマで美術館に行く予定も、映画を何本か観る予定もある。

 

・・・

 

午後は割り切って読書の時間とした。

植本一子『個人的な三ヶ月 にぎやかな季節』

ちょっとこれはすごいな、すごすぎるなと思いながら読み進める。

 

植本一子さんのことはエッセイで知り、そのあと写真家であることを知った。

2021年1月から3月までの3ヶ月間の日記。新型コロナウイルスの感染拡大による自粛ムードの中で、文章を書き写真を撮りアートを愛で子どもを育て恋をする現実の記録だった。

日々の描写には美化も脚色もない。美しい場面をうまく切り取ってみせるということもない。

淡々と、しかし差し迫る筆致がとにかくすごすぎるなと姿勢を正して読んだ。

 

・・・

 

夜は恒例のTRAVELLING WITHOUT MOVING

照明を落として窓を開け、できるだけ小さな音量で流す。

この番組を聴くときは必ず部屋を真っ暗にしている。

これもまた毎週の習慣として癖づいているなと感じる。

 

ロックアイスがあったなと思い、いつかの宴会で余った黒霧島を注いで飲みながら聴いた。

すると急に酒を飲んでいるじぶんが愚かな気分になってきた。

昨日、本屋B&Bで町田康の『しらふで生きる』の表紙を見たからかもしれなかった。

あのどうしようもない、回りくどい、しかし哲学的アプローチとして至って真面目な断酒談は、そのディティールは思い出せなくても、表紙を見ただけで「あれはそう、あれだ」と思い出すくらいに強烈に印象的だ。

休日に酒を飲まず建設的に過ごせたら、わたしはわたしの休日運用力を認められそうな気がする。

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