ひきこもり先生に訊く、お金の心配はどうやったらなくなるの?(2019.08.28)

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今日も淡々と日記を書きます。
お金に対する心配事は、お金が集まれば解決するの?
我ら資本主義の豚、金の不安は知恵と工夫で乗り切らねばならぬ。

「地域を編む孤立0(ゼロ)プロジェクト合同研修会」で事例共有者として登壇した話は昨日の日記で書いた。
そこで同じように発表をされていたひきこもり大学茨城キャンパス@hikidaiibaraki )の大谷武郎さんから伺った話を今日は1日中考えていたのだった。

「今日から空腹にさせない」子ども食堂に代わる食育事業とコミュニティワークモデルの実現(2019.08.27)

自身もひきこもりの当事者だった大谷さんは、当時のことをふり返りながらひきこもり状態にある人がどのようなことを思い、悩み、望むのか、実例を踏まえて語ってくださった。
その中で特に印象的だったのが「お金」の話。

長期間に渡り外に出られなかったとき、とにかく心配だったのが「お金は大丈夫か?」ということらしい。

 

自分の将来は果たしてどうなるのか?
自分が家にこもり続けることで、家計は大丈夫だろうか?

 

目先の悩み事は将来の予期不安につながり、止まらないネガティブ思考が心身を蝕んでいく。
奥行きの知れぬ不安から、極度の節約にも走っていたとのことです。

ひきこもり当事者を含め家族みんなで家計を把握すること。
それがなによりも大事だと大谷さんは話します。

日々どれだけのお金を遣って暮らしているのか。
現在、家族としてどれだけの財力を残しているのか。
まずはそれらを知るために、家計簿をつけたり、家族と腹を割って話す機会を作るなどすることがとても大事とのことです。

 

ひきこもり状態が続けば続くほど、社会との接点を増やしていくのに時間がかかるといいます。
現状を正しく知ることで、自分に与えられた余裕を視認することができる。
大切なのは、一旦「安心」を手に入れることなんですね。

 

なるほど当事者の心配事を共有するのはむずかしい。
このように経験者やケーススタディを多く知る方の一次情報は極めて貴重です。
きっかけがなければ生きづらさを感じる方々の気持ちを推し量ることも難しいものだと感じました。

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しかしこのお金の悩み、なにもひきこもり当事者に限った問題ではないでしょう。
このブログを読む人の中で、現在あるいは将来にかけてお金の心配がない人など果たしているだろうか?

 

金のない学生は日本全土に3億人くらいいるだろうし、かくいうわたしもそんな小僧だった。
職業人として働きながら一人暮らしを始めたことで、多少は人が生活するための費用というものが見えてきた。
それでも、3年くらい前までは「給料日まであと7日、財布に50円」みたいな状況は普通にあったなぁ。

今はそこまで生活にあえぐこともなくなったが、代わりに事業の金回りが気になるようになった。
勤め先は小さな組織、自分の関わる事業の収支を心配したり、素人なりに会計資料に目を通して状況を理解しようと試みている。
将来に向けた資産形成を目的として、複業の枠組みで個人事業をいくつかやっている。これにかかる金銭の巡りはもうね、悩みのタネでしかない。

 

あえてロバート・キヨサキの考え方を引用すれば、わたしは「Eクワドラント(勤め人)」「Sクワドラント(自営)」の2種に属することになる。
ではわたしと同じように、これに類する人が特にお金について悩むのかいえば決してそうではない。

うちの代表なんか見ていると、ビジネスオーナーにのしかかる金の心配は何倍という規模のものがありそうだ…
自身の労働力を換金しているわけではない、投資家・資本家と呼ばれる人たちも同様にそう。
むしろ彼らは個人として相応のリスクを背負いながら、日々マーケットを動かしているわけでしょう。
そういう意味ではまさに「サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ」。

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上に見られるように、お金の悩みはひきこもりに限った話ではない。
むしろ我々すべての資本主義社会人に共有する、絶え間のないしんどさみたいなものかもしれない。

お金の悩みは、お金が集まれば解決するのか?
そんなことは決してない。

 

年収ベースでわたしの3倍、4倍のお金を得ている人たちが、わたしの3倍あるいはそれ以上に幸せか、それはまずないだろう。
お金の心配をやわらげてくれるのは、自己理解と正しい知識の獲得。
つまり前段で大谷さんが語ってくださったことに尽きると思う。

 

まず自分自身の理解を深めるところに重きをおくべきな気がする。
自分が健やかに暮らしながら、やりたいことを実現するためにはどれだけのお金が必要なんだろう?
現状は分析すればいいし、将来のことは想像してみるしかない。
その結果、はじめて「得るべき知識」が見えてくる。

新卒の社会人1年目は急に財務三表をマスターすべく会計の入門書を手に取り出す。
でも、順番としてはまず「なぜその知識を得るべきか?」を理解するところが大事なんだよなぁ(あの頃のじぶんを恥ずかしがりながら)。
個人の資産運用や節約術なんかについてもそう。財テクの本(それも極めて読みやすい薄いやつ)が売れるのは、みんなのお金に対する「漠然とした不安」につけ込んでいるわけですわ。

お金に関する知識を得る機会、世の中には本当に本当にたくさんある。
それらを知りたいと思う動機が「漠然とした不安」では核心に迫れない。
なぜならそんな得方をした知識はすぐに忘れてしまうからです。

大きめの本屋にいくと、これでもかと言わんばかりにお金に関する専門書が出版されていることがわかる。
あれを眺めるたびに「みんなお金に悩んでるんだなぁ」なんて感じます。
たしかにお金は悩ましい。でも延々悩んでいては、自分にとって何よりも大切な「自分の時間」というものを無駄遣いしてしまう。

なぜ不安なのか、漠然としたものをクリアにしていくことが大切みたいですね。
少なくとも自分とその周りの環境を理解していけば、ぼんやりした不安を小さくすることだってできる。
不安の構造を自分の頭で解きほぐすことができれば、案外悩みも手に取れるようになるかもしれない。

「うまい悩み方」を獲得してこ。どうせお金の心配は付きないのだから…

ロバート・キヨサキの本はファイナンシャル・リテラシーを高めるきっかけとしてはとても良いと思う。
しかしなぜかこれを薦めてくる人はネットワークビジネスの盲信者だったりするから食い物にされないよう気をつけてくださいね。

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