連日天気が良くて機嫌が良い。
“天気が良い”という表現をしたが、以前(といってもかなり昔)に「誰にとっても“良い天気”というのはない」と指摘されたことがある。
おそらく小学生くらいの頃だったか、そんなドラマなり漫画なりがやっていたんだと思う。
天気が良いね、みたいな話をしたところ、生真面目な友人はそう言い放った。
いま思えば、多様性みたいなものとの出会いだったような気もする。
「天気が良い」思う多様性もあれば「誰にとっても“良い天気”というものはない」と思う多様性も、「この世界には自分にとって想像もできない状況を“良い天気”と思う人がいる」と受け止める多様性もある。
朝井リョウが『正欲』で提言したかったであろうテーマはおそらくそういったことだろう。
さまざまな価値観が多様性の文脈でカテゴライズされていくことは恐ろしい。
いますでにわかり得るものを示す言葉ではないよな、想像力のエッジの部分に多様性はあるよな、と思う。
そして、読書をするということはつまりこういう発想をし続けることだよな、とも。
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元気に仕事。8割くらいはおしゃべりの日。
そろそろ20代前半の自己犠牲的な精神で働くのはやめなければ、と感じた1日だった。
わたしは「必要とされることこそが何よりもありがたい」という時間の遣い方になりがち。
人が起きている時間、活動している時間は、その人と一緒になってできることをしたほうが圧倒的に良いなと。
さいあく、自分が作らねばならない資料など後回しで良いのだ、まずは人間関係を…
というのは月収13万円の限界的フリーランスの発想で、いまそんなふうにして働いてはいけないのかもしれない。
自分が働いているようすの、その印象というか、外側からどう見えているのかが気になり始めている。
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職場の近くにある、焼鳥の美味しい店に入る。
薄いグラスでよく冷えたビールを飲んで、目の前で焼かれる地鶏やら玉子焼きやら。
「あの世には亡くなった人たちが暮らす街がある」
「そこには、この世で閉店した店たちが並んでいるらしい」
「街はドムドムバーガーと東京チカラめしだらけとの噂」
死生観についてぼんやり話すなどした。
日中の陽気もあって、夜の街はなんとなく開放感が増したようだ。
今年の夏は欲望が流行りそう。
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天にまします我らの父よ、昔の家のゴミ集積場にゴミを出しました。