【近況報告】起業支援屋さんツクリエのコミュマネになりました。

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Twitterでは当初よりお伝えしていましたが、しましま(@seiyatakashima)こと髙島聖也は2020年春に転職をしました。現在は起業支援を専門に行う株式会社ツクリエでコミュニティマネージャーとして働いています。

「落ち着いたらブログにまとめよう」と思っていたところ、あっという間に試用期間の6ヶ月が過ぎ、「そろそろ振り返るか……」と考えはじめてから更に3ヶ月が経っていました。なんということでしょう。匠による劇的なビフォーアフターはありませんが、相も変わらず「いちいち青春みたいな日々だ」としみじみしながら暮らしています。

なお、タイミング的には転職活動も、その後職場に馴染んでいく過程も、思いっきりウィズコロナといわれるご時世。今の職場環境に不安を感じている方や、キャリアの転換を考えている方には、わたしの経験から少なからずお伝えできることがあるかもしれません。今の仕事に悩んている方はぜひご連絡ください。

転職のきっかけ:コトをおこす人を応援したい

「おれはビジネスのことなんてなんにもわかっちゃいないんじゃなかろうか」と思い始めたのが2020年の年明け。その頃勤め先の仕事で茨城県内の中小企業や個人事業主の方々を訪問する中で、じぶんの能力不足をひしひしと感じていました。力になれない。その仕事はやりがいがあったし、うまく作用すれば地域企業の課題解決にもつながるものでした。「“地域”はその土地に暮らし働く人たちの営み」だと信じつつも、うまく立ち回れないわたしの頭の中ではYUKIは「ふがいないや〜いや〜」と叫びまくってた。ちがいないや、嫌。

それに加えて、地域での活動も低迷していました。2018年に退任した「地域おこし協力隊」の時に立ち上げて、継続していたまちキッチン「あえる」はことごとくうまくいっていなかった。わたしにとって、地域に関わるプロジェクトの運営は地域とのつながりそのもの。それがうまくいかない中で、自然と地元の方々と顔を合わせるのも避けるようになっていました。それはもうしんどい日々だった。「頭の中のYUKIが」とかふざけているけれど、これを書いている今も当時を思い出すと胸の動機が止まりません。しんどい日々を思い出す作業はとてもつらい。冗談でも交えないと筆が進まないので何卒ご容赦ください。くだらない話は人を救う。

完全に心を病んでいたあの頃。聞こえるはずもない女性の絶叫で目が覚めたとき、このままじゃアカンと強く思いました。メンタル病んだら、持ち直すまで本当に大変。

 

今からちょうど1年ほど前、この頃の記憶って実はほとんどないのだけれど、当時の日記には「コトをおこす人を応援したい」と何度も書いてある。協力隊だった時期からずっと、事業やプロジェクトの立ち上げと、それを実行する人の内面に並々ならぬ関心があった。というのも、地域に入って様々な活動を目の当たりにする中で「優れたビジネスモデルも、勢いのある企業も、結局のところ人間の営みじゃないか」というふうに感じていたからです。

そして、人間は脆く弱い。アイデアを否定されたり、ビジョンを理解されなかったり、たった一人の攻撃的な態度が命取りになることもある。そういう場面をたくさん見てきました。地域の多様性をつくる個人の取り組みが、いとも簡単につぶれてしまうのはすごく悲しい。そのために、わたし自身が強くならないといけないなと強く感じていた。地域でプレイヤーとして動き回ることに頭打ち感を感じていたし、それならいっそ環境を変えてみるのもいいのではないか……という思考の経緯があったようです。日記の習慣はいいね。当時のわたし、かっこいいね。

転職活動:自分の労働力の価値を計る

そんなわけで平日の夜や休日をつかって、いわゆる転職活動というものをはじめました。2020年2月の話。その頃積極的に誘ってくれた茨城の企業があった。でも内情を知っているがゆえに「おれの人件費を出させるわけにもいかん」とも感じていた。ありがたい提案をのらりくらり避けていたわけですが、実際のところ自分の労働力の価値がどれくらいなのかよくわからなかった。そのため、時間の許す限り多くの企業や団体を訪問しました。

県をまたぐ移動はできるが、みんながこぞってマスクを付け始めた時期。シューカツすらまともにやっていなかったわたしは、古着屋でこしらえた上下セットアップで2,000円のスーツを着て、伸ばしたヒゲを転職エージェントに怒られたりしながらの転職活動でした。担当のエージェントさんはどえらい美人で、わたしはよろこんで叱られに行ってたっけ。お手数をおかけし恐縮です。

 

病院に設置された地域連携室の求人が、実態は院長先生の宴会セッティング屋さんだった。年に1つ売れればいいという精密機械の営業職が、当時の給料のウン倍だった。新卒で入ったITのメガベンチャーに、今から入ろうとするとえらいハードルが高いことを知った。10社くらい見たけれど、本当にジョインしたい会社は早い段階から決まっていました。それが、転職先の株式会社ツクリエという企業です。採用の話をいただいたときは、思わず頭の中のYUKIとうれしくって抱きあったよね。さっきからYUKIがなんだと話しているけれど、あんまりよくわからず書いています。

ちょうど所属しているNPO法人に解散の話があった。2020年4月。転機は突然訪れるというけれど、わたしの退職もあっさり決まりました。同時に日本ではじめての「緊急事態宣言」が発令。その後2ヶ月間の自宅待機を命ぜられると同時に、わたしの転職活動は終わりました。2,000円のスーツはそれから一度も着ていない。

 

転職活動をしたことがないけれど、今の職場に違和感を感じているという人にいくつか雑多にアドバイスです。

労働力の価値は勤め先だけじゃ計れない。興味のある求人があれば話だけでも聞きに行くべし。できることや任せたい仕事の話をしていく中で、今だいたい労働市場の中で自分がいくらくらいの価格なのかはわかります。コロナ禍の今、きな臭い企業は割とわかりやすい。Web面接は対面のそれと大差なし。でも実際にオフィスを訪れるのとWebで完結するのとでは、前者のほうが1,000倍くらい得られる情報がある。このご時世で転職エージェントはノルマが大変そう。「この子の売上に貢献できれば」と言われるがままに行動すると、彼らの“売りたい”求人に振り回されるよ。わたしがまさにそれ。広く求人情報を探すべし。

これ、いつかちゃんとまとめよう。

転職しました:起業支援のコミュマネに

さて、そんなわけでわたしは今ツクリエのコミュニティマネージャーとして働いています。

起業家のよりどころに

コンセプトは、「Startup Incubator」
私たちは、事業を作る皆さまを応援するプロフェッショナルとしての起業支援サービス事業と、価値を創造するクリエイターの皆さまを支援するクリエティブブランド創造事業を中心に事業展開をしています。
起業家サポートに特化した企業ですが、まだまだ若い会社です。様々な試行錯誤、ゼロイチの取り組みを続けながら、「作る×クリエイト=ツクリエ」と社名にあるように、起業家たちのクリエイティブな活動の背中を押せるようなパートナー的な存在を目指しています。

https://tsucrea.com/recruit/

わたしは東京都・東京都中小企業振興公社の運営するTOKYO創業ステーション内「Startup Hub Tokyo 丸の内」運営グループに所属し、日々訪れる起業準備者のサポートやイベントのプランニングを行っています。ここは本当にすごい! 起業を志す方々向けの支援が整っていて、各種相談や起業に役立つセミナー・ワークショップが盛りだくさんです。登録も利用も基本無料なので、メンバーになっておいて損はないと思います。極めてすてきな行政事業。

茨城にいた頃は散々、このコミュニティマネージャーという存在に助けられた5年間だった。そんなわたしがこの肩書きを背負うのはなんとも背筋の伸びる思いだけれど、基本的にはお世話になったみなさんの姿を思い浮かべながら働いています。目の前の人に魂で向き合いながら、その人を通して見えてくる「未来の起業家」像をイメージしてイベントを作る。向き不向きはわからないけれど、実に楽しくやっています。

元々ソーシャルビジネス界隈にどっぷり浸かっていたこともあって、わたしはどこか“課題意識フェチ”みたいな節があるみたい。「こんな社会にしていきたい」「今の社会のこういうところが嫌だ」起業準備者のみなさんが語るそれぞれの課題意識に触れるたび、心の震える思いがする。ビジネスの力で各々の課題解決に踏み込む方々を支えることができる、そんな環境に身を置けるのはとてもよろこばしいことです。この社会の未来はちゃんと明るい。

 

ところで、ツクリエはミッションとして「起業家に寄り添う」を掲げていて、この一文がわたしの心を捉えました。転職にも一目惚れはある。ずっと「コトをおこす人を応援したい」と考えていたし、実際に今もポジティブな気持ちで業務に向き合っています。自分が仕事を通じて何を成したいか、企業が何を目的として活動しているか、それらを正しく理解しようとすれば、転職の際のミスマッチは少ないと思います。新卒のシューカツほどお互いに粉飾したりしない、いやできないとも感じた。転職活動はたくさん内定をもらうゲームじゃないから、素の自分を晒した上で好いてもらえる企業を見つけるのがいいんでしょうね。

また、ツクリエは自主施設や受託施設ともに、全国各地で創業支援施設の運営をしています。都市部だけでなく地方もおさえているというのが、地域を良くしたいと思うわたしにとっては惚れたポイント。当時、つくば市の事業である「つくばスタートアップパーク」の運営をツクリエが担っていて、それだけで茨城に愛の深いわたしは一瞬で好きになってしまいました。地域おこしの師匠である西塔大海さんが「ぼくたちはいつまでも“地域おこし協力隊”という認識で生きていく」というような話をどこかでしていたけれど、まさにそのとおりだよなぁ。退任してずいぶん経つけど、地域を良くする取り組みをずっと続けていきたいと考えている。地域の起業家を支援していきたい。仕事の枠を超えても、そのための活動していこうと強く思っています。

コロナ禍のキャリアチェンジ、全然怖がることない

ウィズコロナと呼ばれる状況で転職をしたので、仕事を始めてから今までの経験値を簡単に書いておきます。あくまで個人的な体験談なので参考までに。結論からいうと、わたしはこのタイミングで新しい職場に移ってよかったな、と思っています。

 

1.社会のルールが変わった今、仕事は一緒に作るべき。
「こんなご時世で転職して、仕事に馴染めるかしら」と恐れることはまったくないです。どこの企業も仕事のやり方や求められる成果がガラッと変わってしまった。先輩社員も躍起になって新しい時代の働き方を模索しています。非対面・非接触の推奨される世界で、これからの社会に適したやり方を一緒になって作っていくフェーズ。イチから一緒に仕事を作っていくことができるレアなタイミングかも。

2.社内外に困りごとが爆誕。積極的に手を挙げると求められやすい。
課題なくしてビジネスなし。渋沢栄一がバズる稀有な時代は、会社の中にも外にも未知の問題が顕在することなりました。感染症の蔓延をきっかけに、これまでなかったような困りごとが社内にも、取引先にもたくさん生まれていると思います。誰も対処法のわからない中で、抱えているタスクの少ない新人が動ける領域は広いはず。一生懸命考えることは誰にでもできるから、新しい仕事には積極的に手を挙げるといいのかも。オンライン化、オペレーション変更、新規顧客開拓あたりにお困りの人が多いのかな。

3.コミュニケーションのむずかしさ、良くも悪くも不変。
オフィスに人が集まりにくくなったとはいえ、スタッフ間のコミュニケーションは良くも悪くも変化がないように思う。対面の機会が減った、画面越しのやり取りが増えた、そんな状況でも意思疎通は今までと変わらずむずかしい。こればかりは真摯にやっていくしかないと感じた。改めてファシリテーションやコーチングの大切さが身に染みています。

最後に

起業支援の仕事をすると決めたとき、真っ先に思い浮かべたのは株式会社ラッズの渡邉夫妻でした。わたしはこういう人たちがもっと地域で、自分たちのライフスタイルに合った仕事を生み出し続けられる社会を望んでいます。

常に自らの哲学を持って経営に向き合う直太さんを心から尊敬しています。あなたが茨城にこだわって事業を進めていることが何よりの励みです。いつも対等に接してくれるけれど、わたしの実力はまだまだ。いつか事業の面で肩を並べられる日を迎えるために、わたしもたくさん経験してきます。

本当にしんどいときに声をかけてくれるのはいつも明加さんでした。心がギリギリのとき、なんとかやってこれたのはあなたとその周りのコミュニティのおかげです。誰よりも気がついて行動してくれるから、ゲストハウス編湊をはじめあなたがたの周りにはいつも人がいるのだと思います。明加さんはコミュニティマネージャーではない。でもその振る舞いは実にコミュマネ的。わたしはあなたの気遣いや気配りを思い出しながら日々働いています。

普段面と向かって言えないようなことをブログの締めに書きました。案の定またすぐに会う用事がある。当日は恥ずかしいから触れないでね。美味しい季節の肴と日本酒を飲みながら、いつものようにくだらない話をしましょうね。

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